すべてのはじまり



 私はある冬の日誘拐された。
世間はそういっている。

 その日私は行くあてもなくただ、とぼとぼと道を歩いていた。
薄いパステル色のピンク色のリュックにお金と携帯だけもって、普段は通らないような、人気のない道を歩いていた。
私は短い髪を揺らせながら道を歩いていた。
ただ歩いていただけだった。
あたりは薄暗くなってきて、大体短針が五時近くをさしていた。
どうしようかな、野宿はいやだな、と思いながらも足はどんどん家から遠ざかっていた。
緩みかかったマフラーを巻きなおし、白い息を吐き出した。
とりあえず私を心配しそうな人には置手紙をのこした。
一番置手紙を残さなければならない人にはあえて残さなかった。
どうせ私がいようといまいと気にしない人たちだ。
あんな家と、お金でよければいつでもくれてやるというのに。
人間なんてそんなものだ、そう思って星が輝きだした空を見上げた。
あまりきれいに見えない星に少し残念に思いながら、とにかく歩いていた。
学校の先生と、知り合いの人、あと警察には会わないようにしなきゃ。
あえて人のいなさそうな道を選んで歩みを進めた。
まさか、この歳でこんなことするなんてなー、と思いながら冷え切った両手をぽっけの中に突っ込んだ。
このままでは本当に野宿になってしまう。
二十四時間営業のファストフード店なら暖かいだろうけど、私なんかを入れてくれるだろうか。
パパと、ママは? なんて聞かれたら最悪だ。
そんなことをしたらまたあの家へ逆戻りだ。
いろいろ考えをめぐらせながら歩いていると、向かいから小さな猫が歩いてくる。
私と同じ、小さな小さな、子
向かいから歩いてきた猫は私とすれ違う前に道の端、私から見て右側の電柱の前に座った。
たったった、と軽く小走りになって猫のそばまで行く。
逃げるかな、と思っていたが意外にも猫は動かなかった。
恐る恐る手を伸ばし、そっと猫に触れた。
お世辞にもやわらかくて気持ちのよい手触りではなかったが、私は猫の灰色の毛並みをなで続けた。
「君も、帰れないの?」
そう猫にきくと気持ちよさそうに閉じていたまぶたを開いてきれいな黄色の瞳見せた。
そしてみゃー、と一声ないてまたまぶたを閉じた。
私はにこっと野良猫に微笑んで、野良猫も大変だよね、でもね、飼い猫も実は大変なんだよ、と猫をなでながら独り言を続けた。
すると、私が来た方向から車の音がした。
それは確実に私たちのほうに近づいていたが、私を探している車でないことは確かだ。
私の家にある車はこんな細くてくねくねした道を通ることはできない。
別に他人なら逃げることもないか、と思ってそのまま猫をなでていた。
私は車に背を向けて猫をなでていたのでよくわからなかったが、車が止まった音がしてからしばらくして、扉が開く音がし、中から人が降りてきたようだった。
この辺に住んでいる人なのだろうか、迷惑ならどかなければ、と思い猫を抱いて立ち上がった。
立ち上がった瞬間だった。
後ろから睡眠薬のようなものをかがされ、私は車に押し込まれた。
いきなりのことで驚いてはいたが、意外にも私は冷静だった。
猫が腕から逃げたことにほっとし、心の中で猫にばいばい、と手を振った。
さて、どうやら野宿はせずに済みそうだ。

 私が目を覚ましたとき、私はまだ車の中にいた。
ご丁寧に手足を縛り、目隠しまでされていた。
私は今まで自分の家の車しか乗ったことがないから、乗り心地でどんな車か、なんてわからない。
ただ、いつも私が乗っているものよりはだいぶ乗り心地が悪かった。
私は座席に横に座らされていて、車の中は音楽もかかっておらず、エンジンの音しか聞こえなかった。
クラシックがかかっている私の家の車とはちがってあまりにも居心地が悪かったので、とりあえず運転手に話しかけてみた。
口がふさがれていなかったのが不幸中の幸いだ。
これで相手にされなかったら鼻歌でも歌って、何とかこの居心地の悪さを乗り切ろうと考えていた。
「あのー……」
「なに」
思ったよりも声はすぐに返ってきて、その声は確かに男の人のものだった。
なに、といわれても、ただ無音がいやなので何か話してくださいともいえないし、どうしようかな、と思っていて不意に出た言葉は
「これって誘拐ですかね」
だった。
自分でも馬鹿だとは思った。
あ、いや、あのその、と自分でもあわてていると、相手は笑っていた。
それはあまりにも小さな空気の変化だったが、私には久々の空気だった。
「もう少しだから」
さっきよりは幾分軽くなった声がそういった。
何がもう少しなんだろう、そう思いながら私は車に揺られた。
それからはさっきと同じ無音だったが、車の中に私の鼻歌は流れなかった。

 車が止まったのは本当にすぐだった。
車が坂を下る感覚がしたし、音の反響のしかたからかなり広さのある地下の駐車場といったところか。
結構目が見えないだけで結構敏感になるもんだな、と思った。
エンジンが止まり、チャラチャラと鍵と鍵がぶつかる音がした。
すると隣のドアが開き、冷たい外気に体が震えた。
人が近づく感じがして、嗅いだことのない柔軟剤か洗剤のにおいがした。
すると、目隠しが取れて、まだ若い男の人が目の前たっていた。
「ほら、手と足、解くから」
あまりにもいきなりな展開で驚いていると、男の人はためいきをついて、私の足元にひざをつき私の足を縛っていた紐を解いた。
足を解き終わると、私の手のロープも解いた。
あ、手で解けるんだ、なんてのんきに考えていると、男の人は口を開いた。
「逃げねえの?」
いや、どちらかと言うと泊めてほしいです、なんていえるはずもなく少し黙っていると、私の答えを聞く前にまたおとこの人が口を開いた。
「まあいいや、とりあえずここ寒いから上あがるか」
「あ、はい」
私は返事だけしてぐるりとあたりを見回した。
そこは私の推理どおり、たくさんの車が止まった、だだっ広い地下の駐車場だった。

 男の人が言った上と言うのはどうやら上の階ある自分の家らしかった。
誘拐した人を自分の家に上げるなんて不思議な人、そう思って、逃げない私も似たようなもんか、と思った。
エレベーターに乗って六階まで上がり、六〇七と書かれた部屋の前に止まった。
足したら私の歳だ、覚えやすそう。
男と人はガチャリと鍵を開けると、ドアを開けて私に中に入るように言った。
「どうぞ」
「お邪魔します」
中は清潔に保たれていて、黒と白のシンプルな家具がおいてあった。
私は男の人の後をついていき、一番広いリビングについた。
テレビの前においてある黒いソファーに座るように言われ、ちょこんとそこに腰掛ける。
さっきの車よりは断然座り心地のよく、黒で控えめな高級感が素敵なソファーだった。
「のど乾いたろ? お茶でいい?」
とキッチンにいた男の人が聞いてきたので、
「水でもいいですよ」
とかえすと笑いながら、じゃあお茶な、といいコンロの隣にあった緑茶のはいったペットボトルを手にとった
それをくすみのない透明のきれいなガラスのコップに注ぎ、私の前の木でできたこげ茶色の机の上においた。
一口だけそれを口に含み、どうしても聞きたかった質問をした。
「やっぱり、身代金要求とかで家に電話しちゃいますかね」
「まあ、するだろうな」
男の人は私の横に座ってそう答えた。
「今、私お金持ってるんでそれじゃだめですか」
「千円とか、二千円とかの話じゃねえから」
この人は誘拐犯のくせによく笑う。
お腹を抱えて笑うわけではなく、微笑むようなそんな笑い方だった。
誰かが隣で笑うなんて、私には久しぶりで懐かしかった。
ただ、このままで行くと結局あの家に逆戻りになってしまう
私はなんとしてもそれだけは避けるべく、持っていたリュックを握り締めていった。
「とりあえず、手元には五千万あります」
「……は」
普通の感覚、と言うものが私にはわからないが、きっと五千万で驚くのだから普通の人なのだろう。
たかが五千万で驚く人、というのを私はクラスメイトと学校の先生以外にはじめてみた。
「……お前の家は子供が外で遊ぶのに五千万も持たすのか」
「たぶんいろいろ訂正しなきゃいけないと思うけど、とりあえず五千万は持ってます」
「マジか」
「マジですね」
何なんだこいつ、と言う意味を含むため息が男の人から漏れた。
いろいろと説明しなきゃいけないかな。
私は重い口をあけた。
「まず、あなたは私を誘拐したつもりかもしれませんが、私はそう思っていません。
どちらかというと家出を手伝ってくれた人、ですね」
「……は?」
まさか、この人も誘拐したつもりが家出の手伝いになろうとは夢にも思ってなかっただろう。
私だって、誘拐犯に家出を手伝われるなんて思わなかったのだから。
「あなたが誘拐した私は今日家をでて、野宿はいやだなーなんて思って道をふらふらしていました。
そしたらあなたが私を誘拐して、私を見知らぬ場所まで届けてくれて、しかも家に上げてくれたわけです」
「じゃあ、今まで逃げなかったのは……」
「逃げる必要がないからですね、むしろあなたのところにいることが私にとって最善なわけだし」
にこっと笑ってそういいきると、男の人は今までにないぐらいに盛大にため息をついた。
「本当、自分でも笑えるぐらい運ねえな」
下を向いて頭を抱えながら、かれた笑い声を小さく上げた。
「そうでしょうか」
むしろ、私は強運だと思うんですけど。
下を向く男の人とは逆に私は見慣れない天井をみる。
「だって、誘拐せずに五千万手に入るんですよ? 法を犯さずに五千万も手に入れば十分なんでしょう? 普通の人って」
「お前こそ、俺がお前を殺すかもしれないとかは考えなかったのかよ」
男の人は私をまっすぐ見つめてそういった。
私が言い終わる前に食い込んで言った内容はかなり物騒なものだったが、私は殺されないという確信があった。
私は軽くため息をついて、まっすぐ私を見つめる視線と自分の視線を絡ませた。
「はい、今はもう思いませんよ」
「なんでだ? お前は誘拐されたと思ってなくても、こっちは誘拐したつもりなんだ。
いつ殺してもおかしくないだろう」
「最初は少し考えましたけどね、でもあなたが私を自分の車に乗せた、とわかったときから殺されない自信がありました。
だって、もし仮にどこか別の場所で私を殺すとして、そこに自分の車で行ったら自分が犯人だって言っているようなものじゃないですか。
あと、自分の家に上げたこと。
自分の家で人を殺すなんてハイリスク、ある程度の常識を持ってる人ならしませんよね」
男の人は一度も私から視線をそらさず最後まで聞いた。
私も、人の目を見て話をするのは久しぶりだった。
男の人は驚いた様子を見せることなく、口を開いた。
「じゃあ、どうしてあの車が俺のものだとわかった」
あの車、と言うのは私を乗せた車のことだろう。
そこまで説明するのか、と少し面倒に思いながらも私は話した。
「だって、エンジンを切って鍵を抜いたとき、鍵と鍵がぶつかる音がしました。
誘拐ってお金がないからするものでしょう? なのに誘拐することにお金かけてたら元も子もなくなっちゃうんで、レンタカー借りるなら一日かなと思って。
だったら、わざわざ自分の家の鍵と一緒にしなくないですか?
今日借りてきて、今日返さなければいけないんですから」
ね? と微笑みながら言うと、男の人はポカンと驚いた目で私も見ていた。
きっと私のような子供がここまで考えていたなんて思わなかったのだろう。
「本当は誘拐なんてするつもりはなかったんですよね。
でも気づいたらやっていた、だからこんなにも無計画だった。 どうしていいかわからなかったから自分の家につれてきたんでしょう?」
にっこりと、確信にみちた笑みで男の人に笑いかけた。
すると男の人は一気に肩の力を抜いて、ソファーにだらんともたれかかった。
「お前いったい何歳だよ」
「中学1年生。十三歳です」
「やっぱ、俺今日運ねえわ」
ソファーにもたれたまま男の人は笑い出した。
普段から読んでいる推理小説がこんなときに役立つなんて思わなかった。
男の人は楽しそうに一通り笑った後、私は、どうしても解けないなぞの答えを教えてもらうことにした。
「でも、だからこそ、わからないことがあるんです」
私がそういうと、男の人はなにが、と言う視線を私に向けた。
「このマンション、それなりに新しそうだし、部屋もそれなりに広くて男の人の一人暮らしにしては十分なんじゃないですか?
なのに、どうして誘拐なんて割の合わないことしたんですか?
いくらとっさの思いつきでやったとしても、お金が必要な状況とはとても思えないんですが」
そこまで言うと男の人は私から目をそらして、天井を見上げた。
今までの笑顔は消えて、ただボーっとした顔で天井を見ていた。
何か、聞いてはいけないことだったのだろうか。
別にどうしても知りたいことではないし、と思い、やっぱりいいです、と言おうとしたがそれは男の人によってさえぎられた。
「俺さ、高卒のわりにはそれなりに給料ももらえて、それなりの生活してたわけよ。 最初はラッキーって思ってたんだけどさ。
なんか、やっぱ違うんだよな」
何がですか、そう言おうとしてもそれは声にならず、ただ二人しかいない空気に吸い込まれた。
「俺、本当は医者になりたかった。だから有名な私立の医学部行きたかったんだけどさ。 でも頭ないから無理って言われてさ、しゃあねえから適当に職に就いた。
けどやっぱだめなんだよな。もう最近はなにやってもだめで、つらくて、仕事やめちまった。」
さっきとは違う寂しそうな笑いに、なぜか私の胸が痛むのを感じた。
私にはない感情。私には理解できない領域。今まで理解しようとも思わなかった領域。
でも、この胸にある痛みは確かに私に届いていた。
「別に今から勉強すればいいじゃないですか」
「そんな金ねえって」
「だから! 誘拐、したじゃないですか……私を」
まだ悲しみの色の入った笑いを続ける男の人に、私は気づかないうちに声をあげていた。
「私の祖母はお金さえあれば、かなわない夢なんてないって言ってました。
今あなたの前には五千万あるんです。」
そういいきると私は家から持ってきた小切手やら、通帳やら、銀行のカードや暗証番号が書かれた紙を、リュックをひっくり返して床にぶちまけた。
「私、今日のあなたの運勢は最強だと思うんですが。」
そこまで言うと男の人は小さくため息をついて、そうだな、と小さくつぶやいた。
「お前、名前は?」
「こうときり」
「どういう字?」
「天皇の皇に、木に土で杜。名前は王に久しいで玖、りは山梨県の梨」
「俺は川崎俊、しゅんは俊足の俊な」
そういうと、俊と名乗った男の人は私がぶちまけてしまった紙類を集める。
私もその紙類をリュックに押し込んだ。
全部拾い終わると
「じゃあ、ま、よろしくな」
そういって俊は笑った。

 私は取引に成功したのだ。







       あとがき

な、長かったー!!の、か?
とりあえず読んでくださった方お疲れ様です^^
プロローグとして短編に上げた5回の約束の長編版です。
第一話は、りー、こと玖梨ちゃんと、俊の出会いの話ですね。
この話を書きつつ、本当に俊は幸運なのか不運なのか。
この後りーのわがままに付き合わされる日々が続くわけですよ。

そしてこれからはもう少し一話一話の量は減る予定ですので^^;;
りーも俊もまだ台詞を打ち終わってないというのにべらべら話し出すし
後半台詞ばっかりorz
いつか、頭の中で思ったことが文章に打ち出される機械とかできればいいのに。




                                    2011.4.30 coffee